「私の人生というこの長い疾病」
―Alexander Pope
最近、昼食をドトールで済ませるのが日課になっている。
祝平日問わず店内はテカテカした顔の主婦やら、無意味に辺りを睥睨しているヤンキーどもで溢れ返っている。
煙草の煙が立ち込めていて酷く視界が悪い。
なんて前世紀的な喫茶店なんだ。
禁煙コーナーは、校内プールの消毒場ほどのスペースが隅のほうに設けられているだけで空席はない。だから僕は副流煙の害毒を被りながら、致命的な昼間のひと時を過ごす羽目になる。
だからといってドトールはそれほど悪い場所ではない。
ドトールのミラノサンドは意外と美味いし、店員は押し付けがましくなくて親切だ。
(ミラノにあれほどふっくらしたパンは存在しない)
それに昼下がりに時代遅れの煙草の煙に包まれて、時代遅れの甘すぎるコーヒーを飲み、時代遅れの小説を読むのは決して不快ではない。
ストーンズとかザフーなんかを聴きたくなるし、日常の中で非日常を体感できる。要するに、ミニタイムスリップである。
でも2007年に、時代錯誤の肺がん促進物質も、攻撃的で、イノセントなロックも必要ない。
ベトナム戦争は終わったのだ。
反権力も、つまるところ権力でしかなくて、そんなものは過去のノスタルジーでしかないから。
時代にはその時代の、しかるべきベクトルがある。
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誰かが、「ひとりの時間を持ってみようと思う」と言った。
早足で階段を駆け上がる
交差点は哀しい
蜂蜜はひどく甘くて、嬉々と顔を覆う
曇天を蹴った
島から島へとふるい落された
菌の名前を覚えて
ボートから降りる
電灯の灯る臨海公園をすり抜けて
陸に架けられた橋を渡ろう
音と境内、または迷路のような紅茶
黄色い自転車を探して
暴風雨の夜、小さな駅にたどり着く
不自然に整理された部屋は
前夜祭のようだ
桜の降る夜には、22時を過ぎると
完全な静寂が訪れるらしい
地下の珈琲屋はとても素敵だったし
暖かなソファーに座って眺める画集は
幸福の象徴だったように思う
でもきっと
けばけばしい観覧車のほうがぴたりとあったんだ
前衛的な建築物も、示唆に富んだ動物の表情も
ただ、異国の言葉を耳に残して
旋回するように歩く
手のひらには確かな暖かさがあったけれど
食べ残した皿は現実味を失って脳裏から離れない
和菓子のような、春めいた坂道
あとどれだけの扉が閉ざされているのだろうか
あと五回会えたら、水先人を務めてもいい
海の喫水線に目を凝らして、耳を澄ませ、
歩いて、歩いて、風が好きだと思う
世界
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なんだ、夢か。幸せな幻だったな。
僕は30分の睡眠の後、一日中ガードレールに寄り掛かっていた。
睡眠欲を持つ幻や、
うなぎを食べたいと呟く白昼夢がいったいどこにいるだろう。
魅力的な幻は駅前のドトールなどではなく、
密やかなテラスで煙草を吸うのだ。


